サイト内検索 Web 
文字サイズの設定文字サイズを大きく文字サイズを標準に文字サイズを小さく

成底ゆう子(1)

2008年07月03日

 “森繁久彌が 21 世紀に託した歌姫” ―― 。石垣島が育んだシンガーソングライター、成底なりそこゆう子に添えられたキャッチフレーズだ。芸能界の大御所がほれ込んだ彼女の歌には、遠い昔に置き忘れてきた大切な何かを思い起こさせてくれる、不思議な魅力がある。その澄んだ歌声、郷愁を誘う旋律、抒情感あふれる歌詞……、安らぎと切なさをはらんだ普遍的風景までも届けてくれるその歌には、混沌(こんとん)とした今を生きるうえでのヒントが隠れている。

080703artist2.jpg

――新しいアルバム『この地球( HOSHI )に生まれて』がリリースされて3カ月半ほど経ちましたが、リスナーの反応を含めて、成底さん自身の感触はいかがですか?
「実はまだよく分からないんですよ。自分がこの作品を作った意味合いをはじめ、いろいろ整理がつくまでにはもう少し時間が必要ですね」

――新たな作品を形にできた充実感や、さらに歩を進めることができた手応えはいかがですか?
「それはあります。今回は“森繁久彌さんが 21 世紀に託した歌姫”としてアルバムを出させてもらったこともあって、各方面の方々から支えてもらっている点では、新人ながら恵まれているな、いいスタートが切れたな、ということは感じています。ただ、そうした多くの人たちの期待に応えるためにも、大事なのはこれからだと思いますし、その分、気持ちも引き締まります」

――そもそも成底さんが真剣に音楽の道を志した時期はいつでした?
「現在のようなシンガーソングライターというスタイルでの活動を目指したのは音大を卒業して1年が過ぎたころですね」

――高校時代にはバンド活動の傍ら、声楽のコンクールで受賞もしていますが。
「あのころはプロ志向は全然なく、音楽大学に行きたいということくらいしかビジョンはなかった。音大に行きたかったのも、単に親元を離れたい、石垣島の外の世界に触れてみたいという一念しかなくて……。とにかく東京に出たい、都会で生活してみたいという気持ちが強かったんです。何にもない田舎で育った反動でしょうか。何も知らないまま年を取りたくなかった(笑)。だから東京へ出るための口実だったんですね、音大進学は」

――歌に対してそれなりの自信があったから音大に進んだわけでもなく?
「いえいえ、それしか取り柄がなかったので。音楽や歌ならなんとかなるかも知れないという安易な考えからでした。というのも、当時、私の周りには音大にいった先輩も友だちもいないし、自分の実力がどれほどのものなのかまったく分からなかったんです。無知であることは強みでもあって、自分の実力が分かっていれば怖くて受験していなかったかもしれないですね」

――プロフィールには、小さい時から民謡に親しんできた、とありますね。
「正式に習っていたわけではないんです。島の人間にとって、民謡は生活の一部なんですよ。もともと民謡は日常の暮らしの中から生まれた歌であって、うれしい時、悲しい時、楽しい時、つらい時……、何かにつけて口ずさんできた。そういう島民の習慣が染みついているのかもしれません。三線を弾きながら歌う祖父の横で、よく歌ったり踊ったりしていましたし」

――民謡独特の節回しは、声楽を学ぶ際に邪魔になったりしません?
「邪魔になることもありましたし、逆にメリットでもありました。日本の先生に習うと、直しなさいと指摘されることが多く、外国の先生に習う時は、その節回しこそあなたの魅力だから伸ばしなさいと言われる。一時期、それでかなり迷いましたけど、それが自分のアイデンティティーの一部であり、オリジナルの色なんだということにあらためて気づいてからは、迷いがなくなりました。結局は自然のままが一番いいんですよ。民謡の節回しは一度も教わったことがないのに、いつしか体に染みついていて、今では自分の歌に欠かせない要素になってしまっているんですから、面白いですよね」

――音大卒業後の進路に関してはどのように考えていました?
「声楽の勉強を大学の4年間で終わらせてしまうのが惜しかったので、もう少し続けてみようと漠然と思っていました。それで、ある歌劇団のオーディションを受けたら運良く通って……。その公演でイタリアに行ったんですけど、そこで大きな挫折感を味わうことになるんです。そのせいで、歌がまったく歌えなくなってしまった」

――具体的にはどういうことですか?
「自分が日本人であることを思い知らされた。声楽はやっぱり西洋の人のものなんだな、と。発音はもちろん、体格、しぐさ、作品の解釈の深さ……、西洋の人の血の中に流れているものにはかなわないな、と。そうしたら正しい音程がとれなくなったばかりか、声すら出せなくなってしまって、公演が続けられなくなって帰ってきたんです」

――歌を活動の軸にしていくには致命的ともいえる出来事ですね。
「でもそのころは、まだ真剣に声楽で生計を立てていこうと思っていたわけでもなかったので……(苦笑)。ところがある日、ピアノの前で小学生のころに好きで作っていたメロディーを弾きながら何の気なしに口ずさんでいたら、心がどんどん解放されていくのが分かって。声ってこんなに自由に出せるものだったんだな、こんなに楽しいことだったんだな、って。なぜかそんなことに感動して涙がこぼれてきた」

――どんな曲調の作品だったんですか?
「いわゆるポップスとは違う、懐かしいにおいのするピアノ曲や童謡の要素の強い、今歌っている曲調に近い作品でした。そこであらためて、自分が本当にやりたいことは歌を歌うことなんだと確認できた。でも、本当に歌いたいのはかつてのクラシカルな声楽作品ではなく、もっと土着的で着飾っていない歌。だけど、どうしたらプロになれるのか、デビューできるのかが分からなかったので、ひとまずミュージック・スクールで歌の講師をしながら、ライブ活動を始めたんです。そのうちに、いろんな人たちと知り合って、デビューへの道が少しずつ開けていった感じです」


成底ゆう子(2)に続く

Copyrights(c)The Ehime Shimbun Co.,Ltd. All rights reserved.
掲載している記事、写真などを許可なく転載、複製などに利用することはできません。
プライバシーポリシー著作権・リンク
愛媛新聞ONLINE