(2010年01月29日)
(2010年01月22日)
(2010年01月15日)
私の母校である伊予市立下灘中学校は、あと2カ月余りで53年の長い歴史の幕を閉じる予定です。先日郷愁に駆られて冬休み中の学校を訪問しました。間もなく2学期が始まる前だったので、先生たちは新学期の準備に追われていて、校長先生も教頭先生も運よくいらっしゃって、ストーブを囲みながらいろいろな話をさせてもらいました。

【写真】下灘中学校の玄関
下灘は海沿いの地域ながら狭隘(きょうあい)な土地柄なので中学校は町の奥まった、かがす(すり鉢)の底のような狭い土地にしがみつくように建っています。私が中学校を卒業したのは今から50年、半世紀も前のことなのですが、校舎や運動場の様子は随分様変わりしているものの、学校の周りの原風景やかがすの底から見える空は昔のままの懐かしい佇(たたず)まいでした。
私たちが在籍したころは戦後のベビーブームもあって、生徒の数が300人もいてそれは賑(にぎ)やかでした。ところが近年の少子化の影響をもろに受け、現在の生徒数は10分の1の32人に落ち込んで、学校の授業や部活に影響が出て、今後も生徒数の増加が見込めないこともあり、やむなく廃校の道を選んだのです。私たち卒業生にとっても、地域住民にとっても廃校は寂しい限りですが、これも時代の流れと諦(あきら)めなけらばならない選択に、ただでさえ不景気なご時世が輪をかけて、地域の将来に暗い影を落としているのです。
下灘中学校は小さい学校ながらこれまで剣道やバレーなどの部活面では県下にその名をとどろかせた時期がありました。また近年は人権劇などが話題となり、小は小なりの輝きを発して頼もしく思ったものですが、来春からは上灘中学校と統合しその名も双海中学校と改名して存続を図るのです。同じ町内ながら遠隔地に住んでいる子どもたちや親にとっては、通学にかなりの時間がかかるため、これまで以上に子育てに多くの時間と労力を費やさなければならないようです。

【写真】下灘中学校の体育館と運動場
歴史の歯車はいや応なしに回り、時には逆回転さえします。ひょっとしたら下灘中学校は後戻りできない逆回転の歯車かもしれません。私は仕事がら日本全国を旅して、廃校や休校地域のその後を見てきましたが、悲しいかな右肩下がりの運命をたどっているのです。校長先生から聞けば、運動場と体育館は地域に開放されて社会体育や社会教育の場として活用されるそうですが、鉄筋4階建てのそんなに古いとは思わない校舎も耐震基準に満たないとかで、その後の活用方法は未定のようです。人の住まなくなった鉄筋コンクリートは室内に空気が滞留して予想以上に劣化を早めます。何か妙案はないものかずっと考え続けていますが、未(いま)だその妙案は見つかっていないようです。

【写真】鉄筋4階建ての下灘中学校本館
これまで3489人の卒業生を世に送り出してきた下灘中学校、私もその3489分の1の誇りある卒業生として、これからもしっかりと生きていきたい思いました。
わが家から300メートルほどの近くに、下灘中学校の廃校とともに双海中学校となる上灘中学校があります。この学校の評議員をしていることもあって時々学校を訪問しますが、上灘中学校では学校統合に向けて本館が取り壊され、準備に追われながら新しい学校が出来つつあります。裏を返せばこれは頼もしいことですし、広域合併市のメリットかもしれません。合併前の旧双海町時代には、中学校統合を目論(もくろ)みながら何度も地域のエゴに跳ね返された苦い経験を持っているだけに、今後は合併して伊予市立になったとはいいながら、新生双海中学校を双海町民皆で温かく見守り、立派な青少年を育てていきたいと思うのです。