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芥川澄夫さん(後編)

2007年10月10日

――トワ・エ・モワを解散後は、レコード会社のプロデューサー&ディレクターに転身しました。
「音楽は好きでしたから、自分の経験してきたことを活かしながら新しい価値を作ってみたかったんです。最初に手がけた女の子3人組は全然売れませんでしたけど、その後、高石ともやとザ・ナターシャー・セブンを手がけることになって…。彼らとの出会いは僕にとってものすごく大きな出来事で、音楽プロデューサーとして20年続けられたのはそのおかげでもあるんです。実はね、僕、トワ・エ・モワをやっている頃はフォークソングがあまり好きじゃなかったんですよ」
――それは意外ですね。
「個人的にはもっと賑やかで華やかなものが好きでしたから。歌を一旦やめてからですよ、フォークソングを好きになったのは。もし彼らと出会っていなかったら、いまだに好きになっていなかったかも知れない。フォークソング云々以前に、歌や音楽のあるべき姿を彼らから教わったんです」
――歌や音楽のあるべき姿?
「彼らを担当することが決まった時に、長野の山奥の小さな村の小学校でライブをやるから見てこいと上司にいわれて見にいったんです。そうしたら、座ぶとんを手に持った年輩の人たちが集まった講堂に、廊下から演奏しながらメンバーが入ってきて、校長先生が挨拶に使ったたった1本のマイクの前に立って歌いだしたんです。テレビの歌番組のように、すべてのお膳立てが整った中で歌うことに慣れていた僕にはそれがすごくショックでね。ああこんな世界があったのか、4年も活動してきたのに何もわかってなかったんだなってちょっと恥ずかしくなった。で、ライブが終わった後は、地元の青年団と月明かりの下で酒盛りしながら交流をはかるんですね。次の日は次の日で一緒に山登りをする。楽器を背負って。で、登った先で歌を歌う。歌が嗜好品ではなくて生活と密接なものとして根づいていた。これは面白いな、と」
――高石さんはその頃既に“フォークの祖”といわれてたと思うんですが。
「そう。小室(等)さん、岡林(信康)さんとともにね。確かに学生の時に作った「受験生ブルース」が当たって富と名声を得ていましたけど、本人はどこ吹く風で。自分の知らないところで持ち上げられていることに違和感を覚えたために、福井の山奥に雲隠れしてしまった。“フォークの祖”たちが一時期みんな行方不明になったのはそのせいですね。そんな高石さんと、じゃあフォークって何ぞや? ということをつきつめてみようと、“107ソングブックシリーズ”という、国内外の各地に伝わる民謡(=フォークソング)、それこそ小さな地域でおばあさん一人しか歌えないような民謡までを集めて歌い直したレコードを作った。1年に4枚、3年で11枚作ったんです。そこで学んだこと受けた刺激が、僕の現在の活動の軸になってるし、いろんな意味で大きな財産でもある」
――でもレコード会社のプロデューサーとしては、ヒットするものを生まなくてはいけない使命もあったと思いますが。
「当時はね、僕がいたレコード会社自体がとても潤っていたんです。オフコースがいてチューリップがいて甲斐バンドがいてダウンタウンブギウギバンドもいた。そのせいで、上からはみんながやっていない分野で面白いことをやってくれといわれていたんです。しかもそのシリーズ作品が、枚数ではさほど貢献しなかったんですが、レコード大賞のアルバム賞をもらったんですよ。ラッキーでしたね。それで僕は生きながらえた(笑)。で、その後の岡村孝子の「夢をあきらめないで」のヒットにつながっていく。ちょうどその頃に、白鳥さんも「アメージンググレース」で脚光を浴びていた。お互いのいろんな周期は似ているのかなって不思議な気分でした」
――現在はボーカルスクールを主宰する一方で、トワ・エ・モワとしもコンスタントに活動していますね。
「長野オリンピックをきっかけに白鳥さんと歌う機会が増えたこともあるんですが、もともと会社の取締役として数字とにらめっこすることは、どうも僕には向いていなかったみたいです。しかも、こんな僕の歌でも聴きたいと足を運んでくれる人たちがいる。ありがたいことです。なので今は、感謝の気持ちを込めながら自分らしく素直に歌を届けることを心がけています。おそらく、30年前よりはいい歌が歌えているんだと思いますよ。上手い下手は別として(笑)」
――最後に、今後の具体的なビジョンがあれば聞かせて下さい。
「特にないですね。あるとしたら、好きなこと以外はやらない。それだけははっきりしてる。いい歌を伝承していくことの大切さを頭におきつつ、今のようなスタンスでこの先もずっと活動していけたらいいなとは思います。あくまでも自然体で。きっとね、生きている限り、ずっと旅の途中なんですよ」

【プロフィル】
芥川澄夫
 東芝EMIを経て、84年の「FUN HOUSE」の設立に参加し、岡村孝子、杉田二郎、陣内大蔵等のプロデュースを手掛け、98年からフリーの音楽プロデューサーとして活躍中。「芥川澄夫ミュージックハウス」を主宰し、ボイストレーニング等の新人育成にも力を入れている。

トワ・エ・モワ Toi et Moi
1969年「或る日突然」でデビュー。「空よ」「誰もいない海」「虹と雪のバラード」等、数々のヒット曲を生み、1973年解散。その後、芥川澄夫は音楽プロデューサーに、白鳥英美子はソロアーティストとして活躍。1997年NHK『思い出のメロディー』にトワ・エ・モワとして出演。これがきっかけとなり、25年ぶりに活動を再開。2006年1月アルバム『プライムセレクション 白鳥英美子&トワ・エ・モワ』リリース。現在全国の中学校の卒業ソングとして最も人気の高い「旅立ちの日に」を収録、大好評を得る。同年11月シングル「旅立ちの日に」発売。2007年6月元ハプニングスフォーのクニ河内全作詞・作曲による北海道限定発売のアルバム『ようこそ』リリース。現在は5月からスタートした(11月まで)全国ツアー『白鳥英美子 with トワ・エ・モワ コンサート~明日への扉~』 を展開中。
詳細はhttp://www.ci-showcase.jp/es/concert/concert.html でご確認下さい。

トワ・エ・モワ オフィシャル・サイト
http://www.universal-music.co.jp/um3/toi_et_moi/
http://www.ci-showcase.jp/es/

『ようこそ』クニ河内、トワ・エ・モワ
『ようこそ』クニ河内、トワ・エ・モワ
RERA-93002
2,800円 (税込み)

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