
――それでもクーコ(西口)さんの35周年のステージには、2人で臨みました。
岩久 「けじめをつけたいという思いからです。そのまま尻切れにするのもしのびなく、ずっと楽しみに応援してきてくれた人たちに向けて、最後のあいさつになればいいなという思いもありましたから」
西口 「それと真理君に対する追悼の意味と。ところがそれ以降、ファンの方々から“もうやらないんですか?”とか“2人でも続けてください”という声が日増しに強くなっていったんです。ただ、私たちが何かアクションを起こすたびに真理君の実家に問い合わせや取材が多くなってしまって、お母さまにもご迷惑をおかけすることになるので、二の足を踏んでいたんですが、お母さまの方から、“青い三角定規が活動することで真理の存在感を確認することができるし、真理のせいで素晴らしい歌を聴いてもらう場を取り上げてしまうことになるのは心苦しい、活動してもらうことを真理も望んでいると思うし、喜んでいるはず”というようなことを言ってもらったので、これは始動して続けるべきなのかな、と考えが変わっていったんですよ」
岩久 「物理的に2人でステージに立っても、僕は常に彼の存在も感じていますし、気持ちのうえでは3人で立っているという意識ですから。青臭い言い方になりますが、その方が彼も空の上で楽しんでいると思えるので。それに『太陽がくれた季節』は中学の教科書に載っていることもあって、合唱曲として歌ったことでクラスが一つになりました、とか、大切な思い出になりました、といった声もたくさん届いていたりして、僕らの知らないところでも影響力を持って、いろんな人たちにエネルギーを与えている現実がある。それなら僕らが歌う場を増やすことで、その輪をもっと広げられるんじゃないか、もっと多くの人たちの役に立てるんじゃないか、と思えたので、動き出すべきだなと決断しました。当然歌えば僕ら自身も楽しいし、そういう姿を見て聴き手も楽しい気持ちになってくれるなら言うことはないな、と」
――実際動き出すとなると、クーコさんはずっとエンターテインメントの世界にいますから不自然はないと思いますが、クモ(岩久)さんは本業との兼ね合いなどさまざまな準備で大変だったのではないかと思うんですが。
岩久 「ギターや歌の感覚は思いのほかすぐに取り戻せましたけど、一番気を使ったのは子供のことですね。2人暮らしで、おじいちゃんおばあちゃんの手を借りることができる環境でもありませんでしたから、子供が小学生の間はきちんとケアしてあげたかったこともあって音楽活動も控えてきました。でも、中学生になると徐々に自立もするし親とも対等につき合うようになるし、手もかからなくなりましたから、今ならやれるかなという気持ちが背中を押した部分も確かにあります」