昨秋、デビュー30周年という大きな節目を通過した渡辺真知子は、今夏、新曲でのリリースは約10年ぶりとなるシングル「いろいろな白/かもめが翔んだ日」をリリースした。実はこの新作、彼女にとって公私にわたるひとかたならない深い思いを投影した作品だという。さてその真意は……。

まず彼女には、30年というキャリアを振り返った時の率直な印象を聞いてみたかった。なぜなら、浮き沈みのめまぐるしい、シビアな淘汰(とうた)が繰り返される音楽シーンにあって、30年のキャリアを蓄積することは並大抵のことではないうえに、それだけの長い期間にわたり歌を発信し続けた者にしかたどり着けない境地があるように思えたからだ。だが、彼女からは意外な答えが返ってきた。
「最近になってようやく平静さを取り戻せたような印象です。というのも、ここ数年は私自身の存在の根幹を揺るがすような大激動の期間でしたから」
“大激動”が指している出来事は大別して3つ。母親の死、その後を追うような父親の死、そして事務所の移籍である。
「ちょうど50歳を前後して、一気にふりかかってきた感じでしたから。49の終わりに母が亡くなり、50になって今度は9カ月の差で父が亡くなって……。母が亡くなる4カ月前に、デビュー以来28年間お世話になったマネジメント・オフィス「SMA(ソニー・ミュージック・アーティスツ)」を離れて、現在の小澤音楽事務所に移籍したんです。移籍も初めての経験ですから、私にとってはこの3年で根本的な環境がガラリと変わってしまったんですね。いわゆる“セカンドライフ”というのかな、これからの生き方をきちんと考えるべき年齢に自分もさしかかったんだなと実感しました」
移籍に関しては、自ら環境を変えてみたいという思いも強かったという。
「機が熟したというのかな。マネジメントのスタッフとはいえ、巨大なグループ企業のサラリーマンですから、最初に私を担当した人も定年退職で辞めていくくらい月日が流れて、私をしっかりマネジメントできる人が徐々にいなくなっていったわけです。私自身の状況や雰囲気も飽和状態でしたから、新たな刺激と新天地を求めたんです。それで、縁あって小澤音楽事務所にお世話になることになった。移籍してすぐに30周年に向けたアルバム作りの準備を始めた矢先、母に異常が起きて……。かなりうろたえましたよ。マネジャーにしても、私の担当になって最初の連絡事項が“危篤です”でしたからね」
気分も新たに次なる一歩を踏み出そうとしていた矢先の出来事だけに、30周年のお祝いムードどころではなかった気持ちも想像に難くない。
「ある意味、お祭り騒ぎなんかしていられないという思いもありましたけど、逆に30周年があったからヘビーな状況を乗り越えられたのかもしれないとも思うんです。慌ただしさで気が紛れていたからこそ持ちこたえられた部分も多分にあったと思いますね。表現をする立場の人間としては、母と過ごした時間をどこかに刻んでおきたくて、その時制作していたアルバム(『鴎(かもめ)30~海からのメッセージ』)の最初に、母に捧げた歌「それでもI love you」という曲を入れさせてもらったんです。それを聴いた父が『いい曲できたな。でも、いろんな人に聞いてもらうのも大変だろう、今の音楽番組は若い子ばかりだから』なんて心配までしてくれていたのに、そのうち彼も倒れて、結局その曲で送り出さなきゃいけなくなってしまった。その、アルバムのライナーノーツの最後に記した“亡き母に捧ぐ”という言葉を“亡き愛しても愛しても愛し足りない両親、猛男・文子に捧ぐ”に急きょ変更したりして、とにかく慌ただしくて悲しみに暮れている状況でもなかったんです」