立春の日は卵を立てられる、という話を読んだ。中国の外交官がこの話を古書で見つけ、外国の特派員の前で立春に立ててみせたことから各新聞が大々的に報道し、世界に発信された。雪の結晶で有名な科学者・中谷宇吉郎(なかやうきちろう)の随筆「立春の卵」(岩波文庫『中谷宇吉郎随筆集』に所収)に、この顛末(てんまつ)が書かれている。
立春は、二十四節気の一つで、一年の季節の出発点である。一年を太陽の黄経(こうけい)に従って24等分し、その各等分点が立春、雨水、啓蟄(けいちつ)、春分、清明……というように名付けられた。もう少し簡単に言うと、太陽の視黄経が315度になった時が立春であり、ちょうど2月4日ごろにあたる。
コロンブス以来、卵が立つか立たないかという話は議論されてきたが、立春に卵が立つということになると、地球が軌道上のその一点に来た時に卵が立つわけだから、卵が365度という数値を知っているということになる。
中谷博士は、これが真実かどうか科学的に解明した。分かったことは、立春でなくとも卵は立ち、卵が立つのは当たり前だ、ということである。少なくともコロンブスの時代から、間違って卵は立たないものと思っていただけのことで、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたかららしい。卵は立たない、という想定の下では卵は立たず、やってみた人もなかったであろう。そういうことであれば、立春に卵が立つという中国の古書の記事は、案外深い意味があることになる。
人はどうしても固定観念にとらわれがちだ。だから、卵は立たないものだという思い込みから抜けきれない。世間にはもっともらしいことがいっぱいある。少しは疑ってみて、実際に確かめてみることも必要である。この立春の卵の話は、われわれ本来の盲点をよく言い表している。高度情報化社会になればなるほど、こういう些細(ささい)な盲点のために歴史が著しく左右されることもあり得る。

【写真】あらし山の梅が開花